2011年10月13日

1986年の残照 円高 5

 江垣はおばちゃんの土地転がしの話に俄然興味が湧いて来た。
「様子見っていうか、どこで捌くかを見計らっているってとこだね。そんなに盛り上がってるんだ。でも、どのあたりの田んぼが売られたのかな? どの田んぼも見た感じではまだ田んぼのままだよね?」
「それがさ」とおばちゃんは意味ありげにほくそ笑むと顔を近づけて声を潜めた。「田んぼのままで転がすらしいんだよ。土地を均すようなことはしなくてもいいらしいんだよね」

「それってさ、このへんの政治家も噛んでるんじゃないの?」
「そりゃ、まったく無関係じゃないさ。でも、土地については土地持ちと不動産屋とだけでやってる。不動産屋に政治家の友人や親せきがいるってのはあるみたいだけどね。直接間に入ってはやってないみたいよ」

「本当かな?」江垣は疑り深そうな目をして言った。
「本当のところはあたしにもわからないわよ。でもね、話が大きすぎるから、あんまり先生方も動くとまずいんじゃないの。もっと目立たない話でなら、ね。だって、大きい話だもんね」
「研究所を作るって話でしょ? そんなに大きいのかい?」
「さっきも言ったけどさ、たくさん人が来るのよ。なんだかね、未来を作る仕事をするんだってさ。国立の研究所もいくつも出来て、企業もいくつも来るみたいよ」
「そうは言ったって、一つの敷地に小さい研究機関を集めるだけでしょ?」

「いやいや」とおばちゃんは頭を振った。「あたしの聞いた話じゃ、未来と科学の巨大遊園地と巨大ビジネス街がくっついたものが出来るって言うんだよね。何万人もが住んで働いて遊ぶ未来都市みたいにするっていう話だよ。わかるかい? ははは」とおばちゃんは顎を上げて大笑いをした。



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2011年10月14日

1986年の残照 円高 6

 江垣はおばちゃんの大笑いの迫力に幾分気圧されたように顔をしかめたが、目の前の湯飲みを取ってお茶を一口含んで気を持ち直した。

「それは噂でしょ。おれが聞いてるのは、世界最先端コンピュータを開発する研究所を建てるってことだけだよ。
 そういうコンピュータを使って未来の生活の質向上を研究するような施設も付属で付くって程度だけどな。そんな夢みたいな話に膨らんでるのかい?」
「それが、そうみたいよ。研究所一つ作ってもどうしようもないじゃないかってことらしいのよ。
 大きくやらないと日本の産業がたいへんなことになるってことみたいで、ほら、円高でたいへんでしょ?
 それで、計画もどんどん大きくなってるんだってよ。あたしにしてみりゃ、悪い話じゃないよ。この店を売るってこともできるし、売らなくても楽しみなんだよね」

 おばちゃんが円高と言うのを聞いて江垣は、おばちゃんの幸せな丸顔は昨今の日本を襲う円高には無縁だと決めつけていたが必ずしもそうではないようだと思った。
 それでも、おばちゃんの円高という言葉の響きに切実感は無い。自分の懐に大枚が転がり込んできそうなのは、円高のおかげらしいと聞こえる。やはり、幸せの丸顔だった。

「そんな科学遊園地が出来るんなら、売らずにここで店をやったほうが儲かるよね。客がどんどんやって来るし、引っ越してくる人も増えるだろうからね。売るよりも建て増ししてもっと客を入れられるようにしたほうがいいよね」
「あんた、よくわかってるじゃないのよ」
 おばちゃんは急に顔を引き締めて言った。

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2011年10月15日

1986年の残照 円高 7

 おばちゃんの丸顔は、幸運すぎるのも本当は心配なんだと言ってるかのようにわざとらしく曇った。
「いやね、あたしも一人で決めるのも怖いからご近所ともよく相談してるのよ。隣の駄菓子屋さんあるだろ? 
 あそこはおじいちゃんとおばあちゃんだけでやってるんだけど、話を持ってきた不動産屋さんにすぐにでも売るつもりだったみたいなのよね。
 でも、近くの雑貨屋の若主人とも話し合って、もうちょっと考えてみることにしたのよ。そんな大きな町になるんだったら、この時点で売るのはまだ早いから、もう少し待ったほうが高く売れるし、売らなくても、そういう新しいお客さんを取り込むようにしたほうがいいんじゃないかって。
 その若主人が言う一つの案は大きなビルを作ってそこにみんなで入って商売することなんだけど、それじゃ、お年寄りはきついわよね。
 それで、街並みを残しながら、町全体を改修してどんどん人が来たがるようにしたらどうかって言うんだね。もっとお洒落な感じにするんだとさ。
 たとえば、一階建てでやってるのを二階、三階にして、見た目をきれいにするようにね。街並みもきれいになるように店が勝手に改修するんじゃなくて町全体がきれいになるように設計すればいいって話なんだね。
 そうすると、お隣のおじいちゃんとおばあちゃんも息子夫婦を呼んで店をやらせてもいいな、ってなったわけよ。そのほうがいいわよね?」

「それは、そのほうがいいと思うよ。本当にそんな大きな計画になってるならね。まあ、でも、夢があっていいねぇ」江垣は羨ましくも疑わしさを残した口調で言った。
「本当そうよね。突然降って湧いたような夢みたいな話だものね。もうみんなうきうきしてるわよ。良い政治があると幸せになれるわよね、本当に」
 こう言うと、おばちゃんは丸くころころした顔の肉に押し潰されそうな細い目をうっとりさせていた。

 おばちゃんは、円高に対応できずに各方面から非難されている今の政治を「良い政治」と言った。
 江垣は「良い政治」なるものを確認しようとこの定食屋にあるテレビのほうに目をやった。
 さっきまで漫才のような議論をしていた国会の予算委員会は散会したようで、テレビは議員や閣僚たちが席を立ってぞろぞろと部屋から出て行くところを映していた。

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2011年10月16日

1986年の残照 円高 8

 国会議事堂は現代的で無味乾燥なビルが立ち並ぶ中、前時代的な威容を誇っている。その厳かな佇まいは、政治が決める方針が国家と国民の運命を決めて来たことを示している。
 ときに衆愚政治と揶揄される民主主義社会の現代においてもそれが変わらないからこそ、その威容が保たれているのかもしれないが、それは同時に政治の持つ裏と表の利権が昔から変化が無いことを示しているようでもある。

 1986年、政治も経済も行き詰まりを見せている。大人たちは若者に覇気が無いと嘆いている。若者よ、明治維新の志士たちを思い出せと。

 明治維新のみがことさらに日本の一大変革のときだと大袈裟に取り上げられているが、日本では大化の改新以降、下剋上のような変革は関ヶ原の合戦まで何度も起きていた。
 明治維新も外様大名が起こした下剋上にすぎないものをことさらに高く評価しすぎるきらいがある。明治維新が現在に通じる近代国家建設の起源となったのが、おそらく高評価の理由だろうが、それも結果論にすぎない。

 西洋文明を咀嚼した日本があるからこそ、国民は楽な生活ができるようになったというのなら、西洋文明を吸収して貧しくなっていれば、明治維新は最悪の評価になっただろう。
 だいたい明治維新の心意気を唱える大人たちにしても明治維新の志に従って行動する若者が現代に出てきたら、困るのは自分たちなのだ。誰も実はああいう内乱めいた変革など望んでいない。そんなことは全学連や全共闘の程度ですらもうこりごりなのだ。

 政治家にとって国民の政治への無関心は悪いことではない。政治家は一部の利権団体の利益を代弁しさえすれば、ほぼ半永久的に議員バッジを付けていられる。
 これら利権団体は税金の分け前に与るために投票所に必ず行ってくれる。
 マッカーサーによって日本国憲法という国家の理念が国民合意のもとに決められたあとになっては、政治家の仕事とは官僚機構の維持と選挙区へのバラマキでしかない。
 理念や国家構想、政治哲学という言葉は、その名が示すように形而上に飛んで行ってしまい、現実的な意味を失っていた。

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