2012年01月03日

1986年の残照 官僚の不合理 11

 通産省は、巨大な知識ベースをもとに推論機能をフルに働かせて、人間には不可能なレベルの合理性によって正しい判断を下してくれるコンピュータを作る。
 単なる計算機ではない。思考するコンピュータだ。世界史上初めて日本が実用的な推論コンピュータを作る。
 もう技術ただ乗りなどとは言わせない。日本は科学技術分野で世界最先端の座に着く。
 すばらしい計画じゃないか! 
 今こそ通産省が誇る発想力、構想力の凄さを国内外に見せつけてやらねばならない。
 国民は通産省の偉大な構想力に驚嘆し、通産官僚への敬意を新たにするだろう。

 日本の官僚機構と通産省を知れば知るほど、そこで働けば働くほど、巽は吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えた。
 たかが数年勤務しただけで何がわかるか、という非難もあるだろう。だが、巽は、目にし、耳にし、肌で感じた多くの事実が自分自身の思考フィルターによって浄化された結果、見出された真実を否定することはできなかった。
 ときどきすべてを拒絶したくなって、大声で自分が発見した真実をぶちまけたいという衝動に駆られる。
 現在の巽はそれを押し止めるのが精いっぱいで、とてもじゃないが前向きな気持ちで仕事に取り組めるような心境ではなかった。



posted by 論虚空 at 16:50| 1986年の残照 2章 官僚の不合理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

1986年の残照 官僚の不合理 12

 巽は、課長や課長補佐にしばしば声をかけられる。彼らは異口同音に褒めてくれる。
 きみは本当に優秀だ、省の期待がかかっている、能力を最大限に発揮してもらいたい、最大限どころか最大限以上にがんがんやってくれたまえ、通産省は上下の差などないのだから思い切ってきみの才能を伸ばせる、出る杭を打つ者こそ打たれるんだから心配するな、と。
 一歩引いてこれだけ聞けば、ただの褒め殺しかと思うだろう。だが、彼らは本気でこう言っている。
これは巽を褒めているだけではない。巽を褒めることで上司である彼ら自身を褒めているのであり、ひいては通産省そのものを褒めている。
 自画自賛?
 いや、自画自賛などという生易しいものではない。ほとんど自己愛に近いものだ。

 優秀な通産官僚なら何をやってもうまく行くし、通産省は未来永劫もっとも有能な国家機関の一つとして人々の尊敬と称賛を集め続けるのは疑う余地はない。

 巽は、省内でこのような思いが最近とみに強まっているように感じる。
 みんな強気の裏で実は通産省の立場が揺らいでいるのではないかという思いを恐怖感とともに抱いている。
 だから、通産官僚にも種の保存本能が強烈に働いている。誰よりも知性と知能に優れていると自信たっぷりな連中が知性よりも本能に従っている。滑稽と言うしかない。

posted by 論虚空 at 10:23| 1986年の残照 2章 官僚の不合理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

1986年の残照 官僚の不合理 13

 巽が暮らす国家公務員の独身向け官舎はとても古く薄汚い感じがあったが、親友の矢島が借りているアパートは新築でとても清潔感があった。
 矢島とはサッカー少年団でいっしょにサッカーをやっていたときから続いている仲で、今でも子供のころサッカーをやっていたときのように心が通じ合う。
 ストレスとフラストレーションが溜まっている巽にとっては心置きなく話ができる数少ない友人の一人だった。

 官庁と官舎の辛気臭さから逃げ出すように巽は、矢島が住む荻窪の新築アパートに来ていた。
 部屋には日曜の午後の昼下がりに差し込む陽光が、真新しい室内の余所余所しさに多少の温かみを与えている。そして、早くも休日の終わりを暗示させる憂鬱さを運び込んでいた。

 矢島はアメリカに本社のある外資系計測器メーカーで営業をしていた。
 外資系といっても日本法人は日本企業との合弁会社の形をとっている。
 外国企業にとって日本市場参入への明らかな障害となるような政府規制というものは無くなったが、それでも日本独特の商習慣は馴染みが薄く、流通経路は複雑怪奇でわかりにくい。
 外国企業にすれば購買者の手の届くところまで自分たちの製品を持って行くのが一苦労なのだ。
 それで、外資系企業は日本市場に入るためには工夫がいる。

posted by 論虚空 at 11:02| 1986年の残照 2章 官僚の不合理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

1986年の残照 官僚の不合理 14

 賢い外資は日本法人の資本構成を工夫する。
 どれくらい膨らむかわからない日本市場への参入コストを抑えるために一部の有力な外国企業は日本国内の販売流通に通じた日本企業との合弁で日本市場に参入する。
 矢島が勤めるアメリカ企業の場合、所有権は日米折半になっているが、経営権はアメリカ側が握っている。
 そんなわけで、社内の仕組みや雰囲気は外資系企業そのものだった。給料は同年代の日本企業に勤めている者より二割ほど高く、また有給休暇も比較的自由にとれた。

 巽はウイスキーをロックで飲みながら窓の横の壁に寄り掛かっていた。
「矢島はこういう賃料の張る部屋が借りられるからいいよな。おれはカビ臭い官舎住まいだよ」
「何を言うんだよ。だって都内の一等地にある官舎に格安の賃料で住めるんだろ? 贅沢を言うな。国民の怒りを買うぞ」矢島は言った。

「国民の怒りって? 何それ? 怒ってほしいもんだよ。国民に怒りなんかない。国民が怒らないから、おれも惨めなままだ」
「国を引っ張る一流官僚が惨めだったら国民はどうなるよ?」矢島は穏やかではあるけれども皮肉っぽく言った。「国民はもっと惨めだぜ」
「そうだよ。官僚も惨めなように国民も惨めだ。コネの無い官僚など政治家の単なる使い走りだよ。政治に振り回されてる」

posted by 論虚空 at 08:07| 1986年の残照 2章 官僚の不合理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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