2011年10月28日

1986年の残照 ジャーナリズム 1

 衆院議員会館を出ると江垣は、眼前の国会議事堂を見上げてため息を吐いた。
 たった今、政界の裏情報を機会あるごとに流してくれる野党議員の秘書と面談してきのだが、西多摩地域での科学遊園地の件についてはあまり詳しくないようで、とりとめの無い話をして得る物も無く終わってしまった。
 帰り際、秘書からは、情報を取りに来るだけじゃなくて、たまにはこれぞという情報を持ってきてよ、と肩を叩かれながら目で笑われて見送られた。

 また、定食屋のおばちゃんから聞いた不動産屋の中には知り合いもいたので、昨日会って話を聞いて来た。
 が、どうも西多摩地域の不動産開発については情報収集はしているが今のところ具体的な商談には入っていないようだった。
 すでに裏で段取りが整っていて除け者にされているのか、そうでなければまだ何も具体的な話が進んでいないかのどちらかだと見ているようで、どうも後者ではないかとの見方に傾いているようだった。
 一部の農家はすでに農地を手放しているのもいるが、それは単に噂に踊らされて浮足立っただけではないかと推測していた。

 この不動産屋は公共事業絡みの用地売却や土地開発もいくつか手掛けたことがあり、この手の話に不慣れということはない。
 また、えげつない仕事の仕方は控えるようにしていて、無理をしてでも公共事業に食い込むようなことはしない。
 商機が薄ければ引き下がるというやり方をいつも取っているが、今のところ西多摩の件では撤退は決めていない。様子見といったところだ。



2011年10月29日

1986年の残照 ジャーナリズム 2

 江垣は、汎用スーパーインテリジェントコンピュータ開発が通産省主導で行われると聞いたとき、知り合いの大学教授を初め専門家たちから前向きな発言が出なかったので、この計画には不審な点があるのではないかと直感した。
 研究所の土地売買に絡む利権があるに違いないと踏んだのだ。
 ハイテク研究の対極にあるような古臭い土地利権という構図は、ジャーナリスティックでおもしろい絵になる。江垣はそろそろ自分も大きなスクープをものにして大物ジャーナリストへの仲間入りをしたいと思っていた。
 西多摩地域の研究所用地取引の件は、そこに利権、不正、贈収賄が見つかれば、大物ジャーナリストへのきっかけになるのではないかと密かに期待していた。

 顔に冷たい雨の滴が当たった。見上げるとぽつりぽつりと小雨が降り出していた。
 ついてない、と江垣は思った。
 そう思ったのは傘を持って来なかったという理由だけではない。大物への道だと勢い込んで取り組み始めた取材ではあるが、歩き回っても今のところ殻の外側をうろうろしてるだけで、中身に切り込めないでいる。頼みの野党議員も空振りに終わった。

 さあ、どうするかと思案しながら、ぶらぶらと国会の脇をぐるっと回って、霞が関のほうへと向かった。
 ほとんど人通りの無い国会周囲の歩道を通って、坂を下り、桜田通りを渡った。渡ったところで立ち止まり、目の前の通産省庁舎を見上げた。
 西多摩の件は通産官僚が計画を練っているのだろうが、自分には情報を漏らさないだろうとそのまま庁舎の前を通り過ぎようとした。

2011年10月30日

1986年の残照 ジャーナリズム 3

 通産省の庁舎から、ぼさぼさの黒髪に口髭を生やした背広姿の猫背の男が出て来て、歩道を江垣から遠ざかる方向に歩いて行った。
 江垣はその男が日本を代表する大手新聞の毎報新聞の社会部記者の田代だとわかった。田代の後ろ姿を早足で追った。

 田代に追いつくと江垣は声をかけた。「田代さん、こんちは」
 声を聞いて田代は一瞬ギョッとしたように首を竦めると振り返った。「ああ……、ああ、江垣さんか……」

「政治部ではなくて社会部の記者さんが官庁回りですか。臭いますね。また関係者だとか政府筋だとかから事件情報でも集めてるんですか?」江垣は冗談めかして言った。
「江垣さんも相変わらずだね。新聞記者としての仕事を誠実に取り組んでるだけだよ」田代はのらりくらりと言った。

 江垣は田代とは以前、麻薬密売事件の取材をしていたときに取材先でよくかち合うので、お互い話をするようになり、それ以来、たまに会っては情報交換をしていた。
 ときには大手新聞では載せられないような下世話な情報を流してくれることがあり、江垣はそれを週刊誌に売ったことがあった。また、江垣のほうも、大手新聞が掴んでいない泥臭い情報を田代に教えてあげたこともあった。
 田代と江垣の間では、情報の見た目の良い部分を田代のような大手新聞記者が取り上げたあとの残りの薄汚い部分を江垣のようなフリージャーナリストが頂戴するという情報のエコロジーが成り立っていた。

2011年10月31日

1986年の残照 ジャーナリズム 4

 江垣は田代に言った。「社会部の記者さんが官庁に来てるというと思いつくのは、例の繊維業界汚職の件ですかね?」
「そういうのもあるし……まあ、いろいろだよ」田代は言葉を濁した。
「ちょっとお茶でも飲みませんか?」と江垣は田代を誘うと、田代は「ああ、いいよ」とそんなに乗り気ではないようだったが承諾した。

 江垣は、田代にお互い勝手知ったる合図を送るかのようにニッとほほ笑んだ。
「わかったよ。有楽町でいいね」と田代は言うとタクシーを止めた。
 これで田代の会社経費でタクシー代を払ってもらえることになる。お茶代もたぶん払ってくれるだろうと江垣は内心ほくそ笑んだ。

 有楽町に着くと、霞が関を出るときにぱらついていた小雨が、ここではすでにやんでいた。
 田代は裏通りにある古びたビルの二階にある喫茶店へと江垣を連れて行った。
 店内の内装はかなり古く、モスグリーンのカーテンにはしみがついており、江垣が座ったイスの背凭れのクッションの茶色いレザーカバーの一部が破れていた。

 この店はマスターが一杯ずつドリップでコーヒーを淹れてくれる。
 田代がコーヒーを二つ注文すると、マスターは速やかな身のこなしで二つのカップを棚から取り出し、ドリッパーをそれぞれに載せて、コーヒー粉を手早く盛った。
 高く掲げたポットからは沸騰したお湯をまるで白糸の滝のように滑らかに正確にドリッパーに注ぎ、コーヒーを淹れた。
 江垣がこのコーヒーを口に含むと最近増えているコーヒーチェーン店のマシンで淹れたコーヒーとは違う手作りの味わいみたいなのがあった。

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