2012年01月24日

1986年の残照 警視庁の精鋭 1

 警視庁の廊下には午後の陰鬱な日差しが差し込んでいた。
 午後の傾きかけた陽光は、朝日のような清々しさは無く、かといって夕日のような安らぎも無い。ただ気だるく陰鬱な気分をもたらしていた。

 二人の警察官が肩を並べて警視庁の廊下を歩いている。一人は午後の日差しの陰鬱さなど気にもかけていない様子で精気に満ち溢れていたが、もう一人はこの日差しの陰鬱さに共感を抱いているかのように表情にはどことなく暗い影が差していた。

 精気に溢れているほうは管理官の上川光喜で、暗いほうは警部になって一年ほどの早坂雅史だ。
 早坂は身長一八〇センチくらいで筋肉質の体格をしていた。笑ってるよりは憂えてるほうが似合いそうな容貌をしていた。
 上川は早坂よりもやや背は低かったが、早坂よりも胸回りや腰回りは大きくがっしりとしていた。いつも胸を張っていて自信たっぷりに行動する。気負いが見られるほどではないが、胸には何らかの確信を秘めているように見える。

 早坂は一昨年警部の昇任試験を受けるように新宿署の上司に言われた。
 これは勧めではなく命令だと言われた。本庁のほうからそういう指示が来ていたので、逆らうべきではないということだった。
 その指示を出したのは上川だ。



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2012年01月25日

1986年の残照 警視庁の精鋭 2

 管理官に昇進した上川は、警視庁捜査一課を強化したかったし、そうするよう上司にも求められていたので、能力の高い人材を登用し、もっと成果の上がる組織体制を企図していた。

 上川は数年前に早坂といっしょに捜査をしたことがあった。ある殺人事件の捜査本部ができたとき、警視庁にいた上川は所轄署の早坂とコンビを組んで捜査に当たった。
 上川は捜査中に無駄口を叩かない早坂の真面目な勤務態度が気に入った。早坂は、口数は少なくはない。無駄なことを言わないのだ。
 捜査を進展させ、事件を解決するためならいくらでも口を開き、議論するが、プライベートな話はしなかった。
 趣味や好きな遊びなどの個人的な話をしながら、仲良くなって絆を深めたほうがチームワークが良くなるという警察官がいる。
 だが、上川はそういうやり方を好まない。無駄なことは一切考えずに捜査だけに集中して、ケリをつけるやり方を好む。上川は早坂の集中力を高く評価した。

 早坂は、会議のとき他の捜査員の報告を聞きながら、事件の全体像を描き出し、他者の捜査の成否から発展させて、次なる自分自身の行動目標を定めて行く。
 上川は、他人の行動と結果をすべて自分のものにしてしまえる早坂のイマジネーションの豊かさに舌を巻いた。
 結果として、犯人を見つけ出したのは上川と早坂のコンビだった。そのころから上川はいつか早坂を自分の直属の部下にしたいと思っていた。

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2012年01月26日

1986年の残照 警視庁の精鋭 3

 日本の社会は変革期にあった。
 日本にはいたるところに都市が出来ていた。東京はもはや世界最大の都市だ。首都圏全体も一つの都市といってもいい。
 日本の産業力は強く、多くの製品を輸出し、外貨を稼いでいる。
 円高のおかげで、高級輸入品は安くなり、海外旅行にも驚くほど手軽に行けるようになった。現在の日本は繁栄を謳歌している。
 しかし、懸念もある。円高は生産の海外シフトを強め、国内の産業が空洞化してしまうのではないか。そうなったら、多くの工場労働者が職を失うし、工場で働くはずだった若者も就職できなくなる。
 それが、犯罪発生件数増加の潜在力となる。

 東京にはマンションが立ち並んでいる。古くからある地域社会のつながりを余計なお節介と嫌う人々が増えている。地域とのつながりから逃れ、個の世界へと埋没できるワンルームマンションの増加はそういう人々を増殖させている。
 だが、悪いことではない。繁栄とはそういうものだ。集団よりも個が大切にされる社会がやっと到来しつつある。

 ところが、犯罪捜査においては、地域社会の崩壊は好ましいことではない。地域の密接なネットワークがあるからこそ捜査もうまく行く。地域社会は防犯と犯罪摘発のネットワークでもあるのにそれが壊れつつある。
 さらには、犯罪が広域化している。
 当然だ。日本国中に高速道路が敷かれ、どんな裏道にも舗装道路ができた。高速鉄道網も整備されている。
 広域は、広い地域ではなくなりつつあり、狭くなり続けている。

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2012年01月27日

1986年の残照 警視庁の精鋭 4

 クルマという移動手段による移動速度の上昇は移動距離を飛躍的に広げた。歩いて回れる小さな町の犯罪では止まらず、より広範な地域を巻き込んだ犯罪となる。
 広域はモータリゼーションの時代には広域でなくなる。移動距離の拡大は複数の所轄署や複数の都道府県の警察を巻き込んだ事件の増加を意味する。

 こうした変容する日本の社会にあって、警察の捜査には効率性が求められている。
 捜査が広域化し、複雑になっているにもかかわらず、予算が大きく増えるわけではない。限られた資源でどれだけ多くの成果をあげるかが警察には要求されている。

 この矛盾した要求に憤慨している警察官は多いが、上川は逆にこれを好機と捉えていた。
 薩摩藩が乗っ取った田舎じみた警視庁を都会的なスマートな組織に変革できる時機が到来したのだ。
 この期待で上川の心には喜びが湧き上がっていて、警視庁と警察官のあるべき姿の青写真を上川は脳裏に描いていた。

 警視庁には精鋭を集める。知力、体力、精神力の点で誰にも負けない警察官を集める。
 捜査一課には、頭脳明晰で先進的な捜査手法を理解し、筋力でも犯人を圧倒できる刑事を集める。人情味や恫喝で勝負する古臭い警察官は、名実ともに先進国入りした日本の社会では必要ない。
 科学者のような観察眼と洞察力を持った捜査員が、捜査の過程で分析と検証を繰り返しながら事件を解決へと導く、これが上川の理想とする捜査のあり方だった。

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